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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)4118号 判決

原告

堀川武

右訴訟代理人

我妻真典

寺村恒郎

茨木茂

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右訴訟代理人

吉原歓吉

外四名

被告

今井保美

右訴訟代理人

武藤正敏

金井正人

被告

船水秀男

右訴訟代理人

松本廸男

主文

一  被告東京都及び被告船水秀男は原告に対し、各自金一六三万三〇八〇円及びうち金一三三万三〇八〇円に対する昭和五〇年五月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の右被告らに対するその余の請求及び被告今井保美に対する請求を、いずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その一を被告東京都及び被告船水秀男の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一請求の趣旨

1被告らは原告に対し、各自金四八三万三〇八〇円及びこれに対する昭和五〇年五月七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2訴訟費用は被告らの負担とする。

3仮執行宣言。

二請求の趣旨に対する答弁

(被告らいずれも)

1原告の請求を棄却する。

2訴訟費用は原告の負担とする。

(被告東京都及び被告船水秀男)

3担保を条件とする仮執行免脱宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1(当事者)

(一)  原告は昭和三九年二月以来タクシー運転手として京王自動車練馬営業所に勤務していた。

(二)  被告今井保美は昭和三九年四月に国学院高等学校に入学し、昭和四二年三月同校を卒業、翌昭和四三年一〇月二〇日警視庁巡査に任命され、昭和五〇年五月四日当時は富坂警察署(以下「富坂署」という)に勤務し、交通課交通執行係巡査の職にあつた。

(三)  被告船水秀男は、昭和三九年四月に、被告今井と同じく国学院高等学校に入学し、昭和四三年三月同校を卒業した。同校在学中、第二年次には被告今井と同じクラスに属し、以来同被告と親交を結んでいたが、昭和五〇年五月四日当時は、世田谷区粕谷一丁目一四番地一四所在の世田谷自動車学校に勤務していた。

2(被告らの加害行為)

(一)  特別公務員職権濫用、同暴行陵虐の事実

(1) 原告は昭和五〇年五月四日(以下「本件当日」という)、平常どおりタクシーを運転して通称白山通りを水道橋方面から白山方面へ向けて進行中、午前一一時四七分ころ、文京区春日一丁目一六番地先の春日町交差点に差しかかつた。ところで、同交差点は、その二五メートル手前から進路変更が禁止されていた。そして、原告は同交差点を左折するつもりでいたため、右の規制に従い左折車線を進行していた。ところが交差点入口の左折車線の真中に交通整理、取締の警察官(後に被告今井であることが判明した。以下単に「被告今井」という)が立つており、左折しようとする車両に一律に直進を命じていた。

(2) そこで原告は、被告今井の脇に車を停め、「なぜ左折できないのですか。」と尋ねた。被告今井はこれに対し、「指示どおり動けばよい。現場の警察官の指示が最優先するのだ。その指示に従わなければ指示違反、公務執行妨害で逮捕する。」と決めつけ、問答無用の態度であつた。原告が、「指示に従うとも従わないとも言つていないでしよう。」と答えると、被告今井は「お前は生意気だ。徹底的に懲らしめてやる。」と言い、「免許証を見せろ。」と要求した。原告が断わると、被告今井は「交通違反がある。」と、はじめて道路交通法違反のことを持ち出してきたが、具体的にいかなる違反事実であるのかは明らかにせず、ただ、「俺が五回『免許証を見せろ』と言い終る前に免許証を見せなければ逮捕する。」と言い、実際に五回「免許証を見せろ。」と怒鳴つた。原告がやむなく免許証を呈示すると、被告今井は「もう逮捕の段階だから免許証を見る必要はない。」と言つて免許証を持つていた原告の手を振り払い、春日町交差点で同じく交通整理に当つていた星宮孝佳巡査から手錠を借りて原告の右手にかけ、もつて職権を濫用して原告を逮捕した。被疑事実は、進路変更禁止違反、公務執行妨害、傷害という原告には身に覚えのないものであつた。

(3) その後五、六分して現場にパトカーが到着し、数名の警察官が降車して被告今井と共に原告の胸倉、手錠、手首、右腕を強く把んで、原告をタクシーから引きずり出し、パトカーに押し込めた。この際被告今井らの行為により、原告は全治約一八日間を要する右前腕挫傷、急性扁桃炎の傷害を負つた。

(二)  証拠のねつ造

(1) 被告今井は右のようにして原告を逮捕した後、自己の不当逮捕の事実を隠すため、虚偽の目撃者を仕立てあげ、原告が前記逮捕事実を行うのを目撃したという嘘の供述をさせようと企てた。そこで同被告は、同月六日ころ、国学院高校二年当時の同級生で友人であつた被告船水に、「本件当時現場にいて、タクシー運転手が進路変更禁止に違反し、これを注意した取締中の警察官を右手で殴打したのを見た。」という虚偽の供述をしてくれるよう依頼した。被告船水は、本件当時は現場にいたことはなかつたが、友人である被告今井の頼みなのでこれを承諾した。

(2) 被告船水は、右の依頼により、同日警察官に対し、また同月九日検察官に対し被告今井に頼まれたとおりの虚偽の事実を供述し、その旨の各供述調書を作成させた。

(3) 一方被告今井自身も同月五日警察官に対し、また同月八日検察官に対し、原告が道路交通法違反、公務執行妨害、傷害の罪(その内容は被告船水に供述を依頼したとおりのもの)を犯したという虚偽の供述をし、その旨の各供述調書を作成させた。

(4) 原告は逮捕当初から無実を訴えていたが、右被告らの虚偽の供述により、同月七日勾留された。そして、同月一三日公務執行妨害、傷害で起訴され、同月一一日漸く保釈された後、更に同月三〇日には道路交通法違反(進路変更禁止違反)で追起訴された。

(5) 右の各事件は併合されて東京地方裁判所刑事部に係属し、同年七月一七日第一回公判が開かれた。右の第一回公判以来、後述のとおり控訴審で無罪判決が言い渡されるまでの経過は別紙公判経過表のとおりである。

(6) 被告船水、同今井はいずれも右の第一審公判期日に証人として出廷したが、その際にもかねて打合せたとおりの虚偽の証言を行つた。その内容は次のとおりであつた。

(被告船水)

「私はたまたま本件当時現場近くにいて原告がタクシーを運転し、進路変更禁止違反をするのを見た。すると取締の警察官(被告今井)がそのタクシーを停止させて、運転手と口でやりとりをしていたが、そのうち運転手がいきなり右手を上に突き上げ、警察官は左顔面を手で押えて上にのけぞつた。そこで私は運転手が警察官を殴つたのだと思つた。事件の二日後の昭和五〇年五月六日午後二時ころ、私が再び現場付近に行つたところ、背広を着た人が『事件のことを見ていなかつたか』と聞いてきたので見ていたと答えると、富坂署に連れていかれ、調書をとられた。私は、被告今井とはその時が初対面であり、何の関係もない。」

(被告今井)

「私は原告がタクシーを運転して進路変更禁止違反をするところを現認したので、同車を停止させた。原告が運転席側のドアを開けたので、そこへ行き違反事実を告げて事情聴取をしようとしたところ、原告はドアを開けたままでギアを入れ、車を発進させようとした。そこで、その肩に右手をかけて『運転手さん。ちよつと待つて下さい。』と言つた。すると原告は私の手を振り払い、『逮捕するなら令状だ』と怒鳴つて右手拳で私の左耳の下を一回強く殴打し、負傷させたので原告を道路交通法違反、公務執行妨害、傷害で逮捕した。事件後私が現場付近で目撃者を探していたところ、昭和五〇年五月六日午後四時ころ、たまたま目撃したという者が現れ、それが被告船水だつた。私と被告船水とはそれまで何ら面識がない。」

(7) これに対し原告は無罪を主張し、被告人質問において請求原因2・(一)記載のとおりの供述をしたが容れられず、昭和五一年三月二二日有罪判決(その内容は別紙公判経過表のとおり)を受けたので控訴し、事件は東京高等裁判所刑事部に係属した。

(8) 昭和五二年一月二四日、控訴審第三回公判が開かれ、まず本件当時被告船水の同僚であつた高沢雄一が弁護側証人として尋問され、「被告船水から、『友達の警察官から、偽りの目撃者になりますし、その警察官がタクシー運転手に殴られたのを見たという供述をしてほしいと頼まれたので承諾した』という趣旨のことを聞いた。」と証言した。これによつて被告船水と被告今井とが友人関係にあり、被告今井がこれを利用して被告船水に偽証工作を頼んだ疑いのあることが明らかとなつた。

(9) ところが、同日、高沢証人に続いて証人尋問を受けた被告今井は、依然、第一審の時と同趣旨の証言を繰り返し、被告船水との関係についても全く面識がないとの証言を翻えそうとしなかった。

(10) 同年三月三日、控訴審第四回公判において、東京弁護士会照会に対する国学院高等学校からの回答書が取調べられた。そこには被告今井と同船水とが同校第二年次に、同じ一二組に属していたことが記載されており、ここに被告今井の偽証工作が明らかとなつた。そして、同年四月一八日、控訴審第五回公判において「原判決破棄、被告人は無罪」との判決が言い渡され、右判決は同年五月二日検察官による上告のないまま確定した。

(三)  原告は、昭和五〇年五月四日に不当逮捕されて以来同月二一日に保釈されるまで一八日間に亘つて逮捕勾留されたうえ、刑事被告人の汚名を着せられて長期間裁判に身を拘束され、刑罰を受ける危険にさらされた(現に第一審では有罪判決を言い渡されている)が、右が被告今井及び船水の前記のような不法行為によるものであることは明らかである。従つて、被告今井及び同船水は民法七〇九条、七一九条により、被告東京都は国家賠償法一条により、それぞれ原告が蒙つた損害を賠償する義務がある。

(四)  なお、被告船水はその本人尋問の呼出を受けながら、正当な理由なく尋問期日に出頭しなかつた。従つて、同被告との関係では民訴法三三八条により、原告の主張を真実と認めるべきである。同被告は尋問期日に出頭できないことについて種々弁解するが、その弁解が真実であることについて何ら立証しないから、右の弁解は正当の理由になるものではない。

3(損害)

(一)  休業損害 三万三〇八〇円

原告は、昭和五〇年五月七日から同月二一日までの一五日間勾留され、その間就労不能となつたばかりでなく、刑事裁判の公判及び検証に合計一五回出頭することを余儀なくされ、右の出頭一回につき二時間宛就労不能とさせられた。当時の原告の収入は一日(八時間労働)当り平均六〇九八円(従つて、一時間当りでは平均七六二円)であつたから、右の就労不能による損害は次のとおり合計一一万四三三〇円となる。

(勾留)一五(日)×六〇九八(円)=九万一四七〇円

(公判・検証)一五(回)×二(時間)×七六二(円)=二万二八六〇円

(右の合計)九万一四七〇+二万二八六〇=一一万四三三〇円

原告は、刑事補償決定による補償として五万七六〇〇円及び無罪費用補償決定による日当として二万三六五〇円の支払を受けたので、右の金額を前記損害額から控除すると残額は三万三〇八〇円となる。

(二)  刑事裁判の弁護士費用 九〇万円

原告は前記刑事裁判に当り、弁護士我妻真典、同茨木茂、同寺村恒郎の三名に弁護を依頼し、弁護士費用として一名につき八五万円宛(合計二五五万円)の支払を約束した。

原告は、無罪費用補償決定による弁護士報酬として一二万七九五〇円の支払を受けたので、これを右の損害から控除した残額二四二万二〇五〇円のうち九〇万円を請求する。

(三)  慰藉料 三〇〇万円

原告は、被告今井、同船水の前記行為により、いわれなく逮捕勾留されたうえ、約二年間に亘り、被疑者、被告人の汚名を着せられた。そして、第一審においては有罪判決まで受けたのであり、その間筆舌に尽し難い精神的、肉体的苦痛を受けた。一方被告今井は警察官として市民を保護すべき立場にありながら、その権限を濫用したものであり、被告船水も被告今井の右行為に加担したものであつて、いずれも極めて悪質と言わねばならない。さらに、被告今井は今日に至つても、被告船水と同級であつたという明白な事実でさえ思い出せないと言い張るなど全く反省の色が窺われない。また、被告船水は前記刑事裁判の第一審判決が言い渡されたころ、罪の発覚を恐れてメキシコへ逃亡し、右刑事事件における真実の発見を妨げたばかりでなく、本訴においても、被告の立場にありながら最後まで帰国して尋問に応じようとはしなかつたのであり、その態度は極めて不誠実である。以上のような事情を考慮すると、原告に対して支払われるべき慰藉料は三〇〇万円が相当である。

(四)  本訴の弁護士費用 九〇万円

原告は本件訴訟追行について前記三名の弁護士に訴訟委任し、その報酬として代理人一名につき三〇万円を支払う約束をした。

4よつて、原告は被告らに対し、不法行為に基づく損害賠償として各自四八三万三〇八〇円及びこれに対する前記不法行為の日以後である昭和五〇年五月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告今井)

1請求原因1の事実のうち、(一)、(二)はいずれも認める。同(三)のうち、被告今井と被告船水とが友人であつたとの点は否認し、その余は認める。ただし、被告船水が国学院高等学校を卒業したのは昭和四二年三月である。

2(一) 同2・(一)について

(1)のうち、原告が昭和五〇年五月四日、タクシーを運転して白山通りを水道橋方面から白山方面へ進行し、午前一一時四七分ころ、春日町交差点に差しかかつたこと、被告今井が同交差点直前の車道上に立つて交通整理を行つていたことは認めるが、その余は否認する。

(2)のうち、被告今井が原告に道路交通法違反があると言つて免許証の呈示を求めたこと、同被告が原告を右の違反及び公務執行妨害の被疑事実で逮捕したこと(ただし、逮捕当時傷害は被疑事実に入つていない)、同じ交差点にいた星宮巡査から手錠を借りて原告の右手にかけたことは認めるが、その余は否認する。

(3)のうち、原告を逮捕した後、パトカーが到着し、原告を右のパトカーに乗せたことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同2・(二)について

(1)は否認する。

(2)、(3)、(4)、(6)のうち、被告今井及び被告船水が原告主張のような供述ないし証言をしたことは認めるが、右の供述ないし証言が虚偽であつたとの点は否認する。

(5)、(7)はいずれも認める。

(8)のうち、控訴審第三回公判期日に高沢雄一が弁護側証人として尋問を受けたことは認めるが、その証言内容は不知。その余は否認する。

(9)は認める。

(10)のうち、被告今井の偽証工作が明らかになつたとの点は否認し、その余は認める。

(三) 同(三)の主張は争う。

3同3の損害額及び原告の主張は争う。

ただし、原告が原告主張のとおりの補償を受けたことは認める。

(被告東京都)

1同1、(一)のうち、原告が昭和五〇年五月四日当時原告主張の営業所に勤務していたことは認めるがその余は不知。同(二)は認め、同(三)は不知。

2その余の請求原因事実の認否は被告今井のそれと同旨である(ただし、請求原因3はすべて争う)。

(被告船水)

1同1(一)は不知。同(二)のうち、被告今井が警視庁巡査になつた年月日は不知、その余は認める。同(三)のうち、被告今井と被告船水とが友人であつたとの点は否認し、その余は認める。ただし、被告船水が国学院高等学校を卒業したのは昭和四二年三月である。

2(一) 同2(一)について

(1)のうち、原告が昭和五〇年五月四日、タクシーを運転して白山通りを水道橋方面から白山方面へ向けて進行し、午前一一時四七分ころ、春日町交差点に差しかかつたこと、被告今井が同交差点の車道上に立つて交通整理を行つていたことは認めるがその余は不知。

(2)のうち、被告今井が原告の運転するタクシーを停車させたこと(ただし、被告今井の脇ではない)、同被告と原告が道路上で話をしていたこと、同被告が原告を道路交通法違反、公務執行妨害の被疑事実で逮捕したこと、同じ交差点にいた警察官から手錠を借りて原告の手にかけたことは認めるが、その余は不知。

(3)のうちパトカーが到着したことは認めるが、その余は不知

(二) 同2(二)について

(1)は否認する。

(2)のうち、被告船水が原告主張のような供述をし、その旨の供述調書が作成されたことは認めるが、右の供述が虚偽であつたとの点は否認する。

(3)は不知。

(4)のうち、被告船水及び被告今井が虚偽の供述をしたとの点は否認し、その余は不知。

(5)は不知。ただし、被告船水が証言を行つたことは認める。

(6)のうち、被告船水が、第一審公判期日において原告主張のとおりの証言を行つたことは認めるが、その証言内容が虚偽であつたとの点及び被告今井が虚偽の供述をしたとの点は、いずれも否認する。その余は不知。

(7)のうち、原告が昭和五一年三月二一日に有罪判決を受けたことは認めるが、その余は不知。

(8)のうち高沢が証人として証言をしたことは認めるが、その余は不知。なお、被告船水は高沢に原告主張のような話をしたことはない。

(9)のうち、被告今井が偽証を繰り返したとの点は否認し、その余は不知。

(10)のうち、原告が昭和五二年四月一八日に無罪判決を受けたことは認めるが、その余は不知。

(三) 同(三)及び(四)はいずれも争う。

なお、被告船水がその本人尋問期日に出頭しなかつたことには次のとおり正当の理由があるから、民訴法三三八条は適用すべきではない。

(1) 被告船水は現在メキシコに在住し、永住許可の申請中である。ところが同国は原則として外国人の永住を認めていないから、同被告が右申請中に一時的にせよ帰国することは右の許可を得るための障害となる惧れがある。

(2) 同被告は現在メキシコにおいて料理店の経営を委されている。しかし従業員(現地人)は金銭面で信用ができないため、もしも同被告が帰国してしまうとその監督ができず、経理面等で問題が生じ、せつかく軌道に乗りつつある同店の経営が破綻する危険がある。

3同3は争う。

三  被告らの主張

(被告今井及び被告東京都)

1原告を逮捕した経緯

(一) 被告今井は富坂署交通課交通執行係巡査であつたが、昭和五〇年五月四日東京都文京区春日一丁目一六番地先交差点において交通の指導取締中、同日午前一一時三七分ころ、水道橋方面から白山上方面に向つて進行中の原告運転のタクシーが、道路標示により車両の進路の変更禁止を表示し区画している道路を進行するにあたり、直進車両通行帯を約四〇メートル進行したのち、ウインカーを点滅し左折車両通行帯に進路を変更しようとするのを認めたので、運転者にそのまま直通するよう指示したのにもかかわらず、左折車両通行帯に入り約一〇メートル進行してきたため、被告今井は、原告が車両の進路変更禁止違反を行つたものと認めて、同車の停止を求めた。

(二) 原告は車を停めながら、「なんだよ、俺が何をしたんだよ。」と怒鳴り声をあげてきたので、被告今井は、「運転手さんここの車線は進路変更できないんですよ。」と説明し、「免許証を見せて下さい。」と言つたところ、原告は運転席右側のドアを開け、「ふざけるな、何が違反だ、馬鹿野郎、違反もしていねえのに免許証なんか見せられるか。」などと叫んでいた。そこで被告今井は、原告に違反事実を説明しながら数回にわたり免許証を見せるように求めたところ、原告は、「俺は違反なんかしていねえ。」と大声で怒鳴りながら、ドアを開けたまま、ギアを入れ発進しようとした。被告今井は、とつさに「運転手さん一寸待つて下さい。」といいながら右手で原告の右肩を押えて停車させた。

すると、原告は、「逮捕するなら令状だ。」と大声を出しながら、突然被告今井の左顔面頬部を下から突きあげる暴行を加えてきたため、被告今井は原告を道路交通法違反(指定通行帯における進路変更禁止違反)ならびに公務執行妨害の現行犯と認め逮捕しようとした。

(三) これに対し原告は、「逮捕するのか、それなら免許証を見せればいいんだろう。」といいながら運転免許証を身体の向う側で「チラッ」と見せ、そのまま、ギアを入れ発進しようとしたので、被告今井は逃げられてしまうと考え、とつさに原告の右腕をつかんだ。

しかし、原告がつかまれた腕を振りほどこうとして暴れるので、被告今井は、このままでは車両で逃走されてしまうおそれもあるため、手錠をかけてこれを阻止しようとしたが、たまたま手錠を所持していなかつたことから、近くの安全地帯で勤務していた同署警ら第三係巡査星宮孝佳に、「星宮さん、手錠を貸してくれ。」と大声で呼びかけ、同巡査の手錠を借り、さらに「パトカーを呼んでくれ。」と依頼し、原告の右手に手錠を施した。

(四) すると原告は、「不当逮捕だ。」と叫びながら手錠をかけられた右手を振りまわすなどして被告今井の手錠を持つ手を振り切ろうとし、運転席でハンドルにしがみつき体をよじるなどして抵抗し、車から降りるのを拒否し続けた。

この時、たまたまパトカー富坂二号が通りかかつたので、被告今井は、同乗していた富坂署警部枝廣幾悦らに応援を求め、原告を富坂二号に乗せて富坂署に同行した。

(五) その後、被告今井は医師山内健嗣に原告から暴行された左顔面の治療をうけたところ、「顔面挫傷」一週間の加療を要すると診断された。

2目撃者船水秀男の発見状況

(一) ところで原告が逮捕後の取調べにあたつて被疑事実を頑強に否認していたことから、被告今井は、警察官以外の第三者の目撃者があつたほうが否認事件の立証によいと考え、上司の承認を得て、翌日から目撃者捜査のため逮捕場所付近で逮捕時間帯を中心に通行人を対象とする聞込みを行つた。

(二) ところが、同年五月六日午後四時ころに、「日曜日(五月四日)の昼ころ講道館で柔道を見た帰りにタクシーが違反して停められ、運転者が警察官に乱暴して逮捕されるのをみた。」という被告船水を発見した。

そこで、被告今井は同人に協力を依頼し、富坂署まで同道し、同署高橋弘巡査部長(以下高橋巡査部長という)に目撃者が見つかつたことを報告し、これを同巡査部長に引き継いだ。

(三) そして、高橋巡査部長が被告船水に目撃状況を聞いたところ、被告船水は、

(1) 昭和五〇年五月四日午前一〇時ころ家を出て講道館の近くまで来た際、白い雨合羽を着た警察官が交通取締りをしているので見ていたこと、

(2) その際の目撃位置、原告運転のタクシーの走行状況、警察官(被告今井)の位置及び動作などの見聞状況、

(3) その直後、運転手が警察官の顔をなぐつた状況、

(4) 運転手が手錠をかけられ、パトカーに乗せられた状況、

などについて供述し、高橋巡査部長の作成した供述調書に署名指印した。

3以上のとおり、被告今井は適法な職務行為として原告を逮捕したのであり、また、被告船水は真正な目撃者である。従つて、原告主張のような違法逮捕の事実も、証拠ねつ造の事実も存在しない。

(被告船水)

1今井巡査の取扱いを目撃した状況について

被告船水は、昭和五〇年五月四日午前一一時三〇分すぎころ講道館前歩道上において、白い合羽を着た警察官(後に被告今井であることが判明した)が白山通りの春日町交差点で水道橋方向に向つて手を振つて合図をしているのを目撃した。そこで被告船水が、被告今井が合図をしている方を見ると、白山通りを水道橋方向から春日町交差点方向に進行していたオレンジ色のタクシーが直進車両通行帯から黄色の実線で車両の進路変更を禁止している道路標示を無視して左折車両通行帯に入つたのが見えた。

被告船水は、当時新任技能指導員講習を受講中であり、交通取締りに興味があつたことから被告今井の取扱いを見ていたところ、同被告は、春日町交差点の直前で右タクシーを停車させ、運転席の方に近づいて行つた。すると、タクシーの運転手(後日原告と判明した)は大声で怒鳴りだし、そのうち車のギヤを入れてタクシーを発進させようとした。そこで被告今井が、かがみ込むような格好になつてこれを停止させようとしたとたん、タクシーの屋根越しに同被告が左頬部を手で押えてのけぞるような形になつたのが見えたので、被告船水は、原告が被告今井の左頬部を殴つたと思つた。

その後被告今井は、原告と口でやりとりをしていたが、そのうち原告が再度タクシーを発進させようとしたためこれを停車させ、付近にいた警察官から手錠を借りて、暴れる原告の片手に手錠をかけて逮捕した。

2目撃者として取調べを受けた経緯等について

被告船水は、昭和五〇年五月四日水道橋駅近くの武道具屋が休みだつたため、同月六日再度同武道具屋に行き用事を済ませた。その後、講道館の柔道を見ていたところ、背広を着た警察官(被告今井)に、「四日の日にここでこういうことがあつたんですけどひよつとしたら見ていませんでしたか」と、声をかけられた。このため被告船水は、見ていたと話したところ被告今井に警察へ行つて見た状況を話してくれと頼まれ、近くの富坂署へ行つた。そして、富坂署においては、年輩の警察官に被告今井が原告を取扱つた状況等について詳しく聞かれ、供述調書を作成され二〇〇〇円位の日当を貰つて家に帰つた。

また、被告船水は、富坂署からの連絡で昭和五〇年七月一日の公休日に春日町交差点に行き、原告の道路交通法違反の状況及び原告が被告今井を殴つた状況並びにそれらを目撃していた位置などを詳細に警察官に説明し、この日は五〇〇〇円位の日当を貰つた。

3メキシコへ行つた理由について

被告船水は、昭和四四年ころから二年位メキシコで生活したことのある次兄の影響などから、外国で飲食店を経営することを生涯の目標としていたところ、昭和五〇年一二月ころ長兄を介して、実家の隣にあるスター美容室の女主人からメキシコのレストランの支配人にと勧誘されたため、世田谷自動車学校に勤務する傍ら、中華料理店や肉屋でアルバイトをして飲食店営業の基礎知識を得、昭和五一年三月八日付をもつて同自動車学校をやめ、スペイン語を勉強し、渡航手続をすませた後、同年五月三日にメキシコへ行き、訴外小林哲也が経営するレストラン大黒屋で支配人として勤務している。

4以上のとおり、被告船水は現実に見聞した体験事実をありのままに証言しており、偽証といわれる筋合いはない。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一  基礎となる事実関係等

一〈証拠〉を総合すると以下の事実を認めることができる。

1  当事者等について

(一) 原告は、本件当日当時、京王自動車練馬営業所に勤務するタクシー運転手であつた。

(二) 被告今井は同日当時、富坂署に勤務する警察官であり、同署の交通課交通執行係の職にあつた。

(三) 被告船水は同日当時世田谷自動車学校に勤務していた。

(四) 右の両被告は、ともに国学院高等学校の卒業生であり(昭和三九年四月入学、同四二年三月卒業)、同校第二学年の時は同級生であつた。

(以上の認定事実のうち、(二)はすべての当事者間に、(一)は被告船水を除く当事者間に、(三)、(四)は被告東京都を除く当事者間に、争いがない。)

2  本件当日の状況について(なお、春日町交差点の状況及びその付近の状況は別紙図面(一)、(二)記載のとおりである)

(一) 原告は本件当日、タクシーを運転して通称白山通りを水道橋方面から白山方面に向けて走行中、午前一一時四七分ころ、春日町交差点に差しかかつた。

(二) 原告は右交差点を左折するつもりであつたが、同交差点は、その約六五メートル手前から進路変更が禁止されていた。

(三) 被告今井は、当時同交差点の車道上に立つて交通整理を行つていた。

(四) 原告は、同交差点の入口付近(左折車線上)に車を停めた(これが自発的なものであるか、被告今井の指示によるものであるかはしばらく措く)。

(五) その後、原告と被告今井の間にやりとりがあり、被告今井は原告を道路交通法違反(進路変更禁止違反)及び公務執行妨害によつて現行犯逮捕した(被告今井は、原告を逮捕する際、手錠を持つていなかつたため、同じく同交差点で交通整理に当つた星宮巡査から手錠を借りている)。

それから、同被告はたまたま本件現場を通りかかつたパトロールカーに乗車していた警察官の協力を得て原告をタクシーから降ろし、右パトロールカーに乗せた上、富坂署に連行した。

(六) 被告今井は原告を同署に連行した後、原告に顔を殴られたと称して山内外科病院に行き、同病院の山内健嗣医師の診察を受け、加療約七日を要する顔面挫傷を負つたとの診断を受けた。

一方、原告は、被告今井らによつてタクシーから降車させられた際、右前腕挫傷の傷害を負つた。

原告は、右のほか扁桃炎もこの時に受けた傷害であると主張し、その本人尋問においてこれに沿う供述をしている。しかしながら、原告には扁桃炎に対応すべき外傷が認められないこと(このことは原告自身も認めている)、〈証拠〉によれば、原告は、初めて山内医師の診察を受けた本件当日(原告は五月四日には診察を受けていないと供述しているが、これは記憶違いと考えられる)には扁桃炎について申告をしておらず、五月八日に二度目の診察を受けた際に「のどが痛い」と申告したものと認められること等に照らし、前記の原告の供述部分はたやすく採用することができず、他に原告が前記傷害のほかに傷害を負つたことを認めるに足りる証拠はない。

(七) なお、本件当日の午前中には朝鮮総連主催の自転車パレードがあり、パレードに参加した自転車が、いくつかの梯団に分れて春日町交差点を水道橋方面から白山方面へ向けて通過していた。同パレードは、白山通りの第一車線(本来は左折車線)を直進したものであり、その限りでは進路変更禁止規制に反する通行方法を認められていたことになる(原告のタクシーが、右のパレードと同時に春日町交差点に進行してきたのかどうかの検討はしばらく措く)。

(以上の認定事実のうち、(一)、(三)、(五)(ただし、被告船水については(五)のうち原告がパトロールカーで富坂署に連行されたとの点を除く)は、すべての当事者間に争いがない。)

3  その後の経過について

(一) 被告今井は同月五日、警察官に対し、「原告が進路変更禁止違反をするのを現認したので停車させ、反則処分にするべく免許証の呈示を求めた。すると、原告が車を発進させようとしたため逃亡するのだと思い、原告の手の上辺りに手を置いたところ、顔を右手拳で殴打された。そこで、原告を道路交通法違反、公務執行妨害により逮捕した。」という趣旨の供述をし、その旨の供述調書が作成された。

また被告今井は翌六日、本件の目撃者を発見したと称して、富坂署に被告船水を同行して来た。そして、被告船水は同署の警察官に対し、原告が進路変更禁止違反をするのを目撃し、更に原告が被告今井の顔面を殴打するところも目撃したと供述し、その旨の供述調書が作成された(なお、被告今井は同月七日、被告船水は同月八日、それぞれ検察官に対しても同趣旨の供述をし、その旨の各供述調書が作成されている)。

(二) 原告は当初から無実を訴えていたが、右被告らの供述等により、同月七日勾留され、その後同月二一日に保釈されるまでの一五日間身柄を拘束された。また、同月一三日には公務執行妨害、傷害で、同月三〇日には道路交通法違反でそれぞれ起訴された。その後の公判経過は別紙公判経過表のとおりである。

(三) 被告今井及び被告船水はいずれも第一審公判期日に証人として出廷し、従前と同趣旨の証言をした外、弁護人の反対尋問に対し、互いに全く面識がないと答えた。そして、第一審の有罪判決には、右の各証言が証拠として採用されている。

(四) 被告船水は右の証言後の昭和五一年五月三日、メキシコへ渡航し、現在に至るまで帰国していない。

(五) 被告今井は控訴審公判にも証人として出廷し、被告船水とは面識がないと繰り返し証言した。ところが、その証言があつた後右公判廷において、被告今井と被告船水とが国学院高等学校時代同級生であつたことが明らかにされた。その後、控訴審裁判所は、被告今井、同船水の各証言はいずれも信用することができないとして原告に対し無罪の判決を言い渡した(検察官による上告のないまま確定)が、その判決理由中には、被告今井と被告船水の関係がその証言を信用することができない理由の一つとして掲げられている。

(六) 被告今井は本訴に至つても被告船水が同級生であつたことを思い出せないと供述し続けている。また被告船水も、その本人尋問期日には出頭しなかつたが、被告今井が同級生であつたことを思い出せないという書簡(丙第一号証の一)を被告今井に送り、これが当法廷に証拠として提出されている。

(以上の認定事実のうち、(一)、(二)及び(三)のうち被告今井と被告船水が証人として出廷し、従前と同じ内容の証言をしたこと、(四)のうち、原告が控訴審で無罪判決を受けたことはすべての当事者間に争いがなく、(四)のうち今井が控訴審で前認定のとおりの供述をしたことは、被告船水を除く当事者間に争いがない。)

以上の事実が認められる。

二  本件の主たる争点は、(一)原告はその主張のとおり道路交通法違反等を犯していないのか(犯罪事実の有無)、(二)被告今井は被告船水に虚偽の供述ないし証言を依頼したのか(証拠ねつ造の有無)の二点にある。そして、右の二点は、互いに密接な関連を有するものであるが、以下においては、便宜上、(一)、(二)の争点を分けて順次検討していくこととする。

なお、本件においては、当裁判所が取調べた人証の他、原告に対する刑事公判において取調べた人証の証言等が多数書証として提出されているが、これらのうち、書証の内容を明確にする方がわかりやすいと思われるものについては、別紙(一)記載のとおり表示することがある(別紙(一)の一ないし四に掲げた書証のうち、甲第二〇号証(一の1)は原本の存在及び成立につき、その余の書証は成立につき、いずれもすべての当事者間に争いがない)。

第二  犯罪事実の有無について

この点に関する証拠の中で重要なものは、いうまでもなく原告、被告今井の各供述及び被告船水の刑事供述である。しかし、被告船水については、真正な目撃者ではないとの主張があり、やや特殊な問題を含んでいるから、まず、被告船水の刑事供述を除いた他の証拠を、原告、被告今井の各供述の対比を中心として検討し、その後、被告船水の刑事供述が右の検討の結果に影響を及ぼすかを検討することとする。

一  道路交通法違反の有無

1この点に関する原告と被告今井の供述内容は次のとおりである。

(一) 原告の主張及びその供述内容は、請求原因2、(一)記載のとおりであるが、それに加え、原告は左折車線を進行していた根拠について次のとおり供述している。

「本件当時、朝鮮総連の自転車パレードが行われており、右のパレードに参加していた自転車がいくつかの梯団に分かれて白山通りを水道橋方面から白山方面へ向つて走行していた。原告が白山通りを走行していた時も、パレードの梯団の一つが第一車線を走行している途中であつた。原告は春日町交差点を左折するつもりであつたため、進路変更禁止区域に入る前に左折車線に入つていなければならないと思い(原告は普段からよく同交差点を通行していたので、同交差点の手前が進路変更禁止区域になつていること、そして、そこではしばしば交通違反の取締が行われていることを知つていた)、右のパレードに割り込むすきを窺い、地下鉄丸の内線のガード手前付近で割り込みに成功した。原告のタクシーの前にも、同じようにして割り込んだ車が二、三台いたと思う。こうして第一車線(左折車線)を走行してきたところ、被告今井に直進を命じられたため不審に思い、車を停車させて被告今井にその理由を聞いたのである。なお、自転車パレードは、第一車線をそのまま直進していた。」

そして、以上の供述は刑事公判供述、本訴における供述とも一致している。

(二) 一方、被告今井の供述内容は、被告今井及び被告東京都の主張記載のとおりであり、これも刑事供述、本訴における供述ともに一致している。

2そこで、右の供述のいずれが信用できるかを考える。

(一) まず、原告は左折車線に入るために自転車パレードの中に割り込んだと供述している。

しかしながら、原告の供述によると、パレードに参加していた自転車は、「横一列から四列でばらばらの状態であり、若い人が多く、話をしながら走つていた。」という状態であつた。そして、このことは被告今井の供述、星宮証言とも合致しており真実と認めてよい。ところで、もともと自転車は自動車にとつて危険な存在のはずであり、それがいわば「我物顔」で走つている中に割り込むということが危険な行為であることは言うまでもなく、そのようなことをすることが可能であつたのか、また、原告がはたしてそのようなことをする気になつたのかは一応問題となる。また、右の推論は、「自転車パレードの中に自動車が割り込んで走つているというようなことはなかつた。」という星宮証言、被告今井の供述にも一応合致している。

そうすると、右の点は、原告の供述の疑問点として指摘することができる。

(二) 一方、原告の供述のうち被告今井が左折車線を走行する車に直進を命じていたという部分は、仮に自転車パレードの中に自動車が割り込んでいたということが事実であるとすれば、自転車パレードの進行方向(左折車線を直進していつた)に照らし、合理的な規制とも言うことができ、不自然とはいえない。

また、春日町交差点を左折しようと思つていた理由について、原告は「後楽園球場の横にある場外馬券売場近くの駐車場で客待ちをしていたが客がいなかつたので、同駐車場から白山通りへ出た。しかし、白山通りには自転車パレードが通つていたため、客をひろうのは難しいと思い、御茶の水方面へ出るために春日町交差点を左折しようと考えた。」と供述している(春日町交差点を左折して御茶の水方面に出る経路は別紙図面(二)に赤線で示してある)。この供述も一応首肯するに足りると言つてよい。

さらに、原告の供述をそのまま採用することになると、原告は被告今井から直進を命ぜられているにもかかわらず(これは交通整理を行つている警察官の指示であるから原告が従わなくてはならないのは当然である)、わざわざタクシーを停め、左折できない理由を聞いたことになるが、この点について原告は、「被告今井の指示に従うつもりではいたけれども、念のため指示の理由を聞こう思つた。」と説明しており、本件当時自転車パレードの存在という特殊な状況があつたことに鑑みると、原告が、右のパレードに関連して特別な交通規制が行われているのではないかと考え、その情報を得ようと考えたとしても不自然とはいえない。

(三) 逆に、被告今井の供述によると、原告は同被告の面前で、しかも同被告から直進の指示を受けているにもかかわらず、これを無視して進路変更を行つたことになる。このことはそれ自体としても奇異の感を免れない。のみならず、第一で認定した事実に実況見分調書、星宮証言、原告及び被告今井の各供述を総合すると次の事実が認められる。

(1) 原告は本件当時春日町交差点を左折するつもりで白山通りを走行していたものであるが、同交差点手前に進路変更禁止区域があり、しかもそこでしばしば交通違反の取締が行われていることを知つていたこと。

(2) 白山通りの水道橋駅付近から春日町交差点にかけての部分は、片側三ないし四車線の広い道路であり、しかもほぼ直線になつていて見通しが良いこと、そして、本件当時車は殆ど通つていなかつたこと。

(3) 当時春日町交差点の横断島付近の道路上に被告今井が立つていた外、横断島上に星宮巡査がおり、この二人が交通整理及び自転車パレードの警戒を行つていたこと(この二人の正確な位置関係については関係者の供述が食い違つており確定できないが、星宮巡査が横断島上におり、被告今井が第一車線上の横断島付近にいたことは認めてよい)。従つて、原告が進路変更禁止区域内で第二車線(直進車線)から第一車線に進路変更をしたとすれば、原告のほぼ正面に星宮巡査及び被告今井の姿が見えたはずであること。

以上の認定事実によると、原告は春日町交差点で取締が行われていることを事前に予期できたばかりでなく、実際にもほぼ確実にその状況を現認できたはずであるといつてよい。従つて、被告今井の供述を信用した場合、原告は被告今井(又は星宮巡査)に進路変更禁止違反を現認されることを覚悟のうえ、しかも被告今井に直進を指示されているのを知りながら進路変更を行つたと考える外ないのであつて、このことは余りに不自然であると言わなければならない。

(四) また、被告今井と星宮巡査の二人が春日町交差点に出ていたことは前記のとおりであるが、単なる交通整理、取締が目的であれば、二人の巡査が交差点内に立入る必要はないはずである(まして、前記のとおり本件当日、同交差点の交通量は非常に少なかつたのであるから尚更である)。このことと、本件当日、自転車パレードが同交差点を通過していたことを勘案すれば、右の両名は自転車パレードの警戒と、その進行によつて混乱が生ずることの防止を目的として交通整理を行つていたものと考えるのが自然であり、また、右の両名の位置関係(被告今井が第一車線上にいた)からすれば、同交差点入口における自転車パレードと左折車の整理は被告今井が担当していた可能性が極めて高いと言うべきである。

そうであれば右の推論は、原告の供述の裏付けとなりうるばかりでなく、被告今井の供述に次のような疑問を提起する。すなわち、被告今井は、自転車パレードの走行中は特別の措置(第二車線からの左折を認める)をとつていたことを認めているものの、同被告が春日町交差点に出ていた目的は単なる交通整理であつたと供述し、更には本件当日の朝、勤務を開始するに当り、上司から自転車パレードがある旨の注意を受けたこともないと供述している。しかしながら、被告今井が単なる交通整理(ないし取締)のために春日町交差点にいたという供述が不自然であることは前記の推論から明らかであり、まして、当日上司から自転車パレードについて注意を受けたことはないという供述部分は到底信用し難い。被告今井のこのような供述態度からは、本件と自転車パレードとの関係をことさら否定しようという傾向が窺われるのであつて、このことは同被告の供述の信用性自体にも疑問を投げかけるものと言わざるをえない。

3一応のまとめ

以上に検討したところによると、道路交通法違反の有無に関する限り、原告の供述の方が被告今井の供述より信用性が高いと言うべきである(なお、前示のとおり星宮証言中には、「自転車パレードに自動車が割り込んでいたことはない。」とする部分がある。しかしながら、同証言によると、同証人は本件の状況を直接目撃していたわけではないことが認められるから、仮に右の証言部分が信用できるとしても、前記の判断を左右するには足りない)。

また、右のような判断ができる以上、本件の発端に関する供述も原告のそれ(原告が被告今井に直進できない理由を尋ねたのに、被告今井がこれに対して適切な対応をしなかつた)の方が信用できると言つてよい。

二  殴打の有無

1この点及び殴打されるに至る経緯についての被告今井の供述内容は同被告及び被告東京都の主張のとおりであり、原告はこれをすべて否定している。

2そこで、次に被告今井の供述がどれだけ信用できるかを検討する。

(一) 〈証拠〉を総合すると、被告今井は本件当日の午後〇時四〇分ころ、原告に顔を殴られたと称して富坂署の近くにある山内外科病院を訪ね、山内医師の診察を受けたこと、同医師が診察したところ、被告今井の左耳の前辺りに圧痛があり、その部位が多少堅くなつていたこと、そこで同医師は原告が全治七日の顔面挫傷を負つたものと診断したこと、以上の事実が認められる(なお、被告今井は「原告を富坂署に連行した後、洗面所で自分の顔を写してみると左耳の下が少し赤くなつていた。」と供述しているのに山内刑事証言にはこれに対応するものがなく、かえつて「外見上の変化は認められなかつた。」との証言部分がある。このことは矛盾のようにも見えるが、同刑事証言によれば、多少の腫れであれば三〇分程度で消えることがありうると認められるし、仮に「多少赤くなつていた」との供述が誇張であつて事実に反していたとしても、この程度では前記認定を左右するに足りず、他にこれを左右するに足りる証拠はない)。

そして、右の事実と被告今井の供述を照らし合わせれば、右の「顔面挫傷」が本件の際に生じたものであることは認めてよく、しかも、右の受傷の原因が原告の行為以外に存在することを窺わせる的確な証拠はない。

そうすると、被告今井の受傷が原告の行為によるものである(それが故意による殴打であるかどうかはともかくとしても)可能性は相当に高いと言うべきである。

(二) 次に殴打を受けた状況に関する被告今井の供述を見てみると、同被告は、本訴において、原告に殴られた部位を「左耳の下」と供述しているけれども、この点に関する供述は一貫していたわけではなく、現行犯人逮捕手続書では「左耳の下」、員面では「左顔面」、検面では「左目の下」、刑事公判では「左耳の下」と変遷している。このことは、右の供述部分が、事件の核心的部分に関するものであること、しかも被告今井が警察官の職責にあり、傷害事案の捜査に当つては受傷部位の特定が重要であることを十分承知していたと思われること等に照すと、殴打されたという供述自体の信用性にも問題が生ずる余地はありうる。

しかしながら、右に掲げたところから明らかなとおり、受傷部位の変遷といつてもいわばニュアンスの差として理解できる程度のものであり、しかも「左顔面」、「左目の下」という異つた供述になつているのが、員面、検面だけであることからすると、供述が変遷しているように見える原因は、むしろ、員面、検面の作成上の問題にあると解する余地もある。従つて、右の点から直ちに被告今井の供述を虚偽とまで断定することは困難である。

(三) 原告は被告今井を殴打したことを否定しているが、その供述内容は要するに、「原告の方は穏やかに話をし、挑発的なことも何も言つていないのに、被告今井が一人で勝手に興奮して原告を逮捕した。」というのであり、被告今井の供述や本件の状況に照らすと自己の行為を正当化する傾向が窺われ、そのまま採用するのは疑問である。

他方、被告今井の供述もこの点は同様であり、「被告今井は問題をおこさないようにするため、ことさら丁寧な態度をとつたのに原告の方が一方的に興奮して同被告を殴打した。」というのであつてそのまま採用することはできないし、本件の発端が原告の道路交通法違反にあるという供述が信用できないことは前判示のとおりである。

結局、双方の供述から殴打(これがあつたとして)に至る経過を確定することはできない。むしろ、双方がともに次第に興奮していつたということが可能性としては最も自然であるといえるが、このことは、原告が被告今井を殴打した(或いは殴打したと見られるような行為があつた)という認定をした場合、これと矛盾するものではない。

3以上検討してきたところによると、原告が被告今井を殴打したということも可能性としては否定できず、この点に関する原告の供述をそのまま採用するには疑問があるといわざるを得ない。

三  被告船水の刑事供述について

1犯罪事実の有無に関する被告船水の刑事供述の内容は、大むね同被告の主張記載のとおりである。しかしながら、これを仔細に検討すると次のような問題点がある。

(一) 供述内容に関する問題点

まず、船水の供述内容を見ると、次のとおり、かなり重要な点において疑問のある供述や供述の変遷が認められる。

(1) 進路変更禁止違反の目撃状況についての供述内容には次のとおり変遷が認められる。

すなわち、被告船水が原告運転のタクシーに注目するに至つたきつかけについては、「警察官(被告今井)が合図をしているのを見た」ためであるということで一致しているが、その後の状況についての供述は、

(員面)「横を見るとタクシーが左折車線に入るところであつた。」

(検面)「振り返ると左折車線へ進路変更したところであつた。」

(公判証言)「振り返るとタクシーが直進車線を走行しており、そのうちに左折車線へ進路変更した。」

となつており、それぞれ微妙な差異が認められる他、員面及び検面と、公判証言とでは、原告の行つた違反の目撃状況に関する供述が明らかに異つている。

ところで、被告船水は、「当時、自動車教習所指導員になるための講習を受けている最中で、道交法違反やその取締に興味を持つており、」またそのため、「原告のタクシーの動向や、被告今井がどのような取締を行うかに注目した。」と述べている(いずれも公判証言)。そうであるならば、原告が違反を行つた状況(その目撃状況)について明確に記憶していて良いはずであり、前記のような供述の変遷が存在するのは疑問である。

(2) 原告が被告今井を殴打したところを目撃したとの点に関する供述にも次のとおり変遷が認められる。

(員面)「左右のどちらかはわからないが、顔を殴つたのは間違いない。」

(検面)「左右どちらかはわからないが顔を殴つた、たまたま手が当つたのではなく故意に殴つたのである。」

(公判証言)「殴つたところ自体は目撃していない。原告が手を突き上げるようにし、被告今井が頬を押さえたので殴つたと思つた。」

右のとおり、員面、検面では明確に「殴つたところを見た」と供述しているのに対し、公判証言では、「殴つたと思つた」と供述しているのであつて、ここにも明らかに供述の食い違いが認められる。

(3) のみならず、殴打の目撃状況についての公判証言は、「原告がレバー(ギア・シフト・レバー)に手をのばしてタクシーを発進させようとしたところ、被告今井が原告の右肩に手を置き、止めようとした。すると原告が右手を突き上げるようにした。」というものであるところ、検証調書によると、被告船水が立つていたとする位置(同調書によると、これは原告のタクシーが停つていた地点からほぼ一〇メートル程はなれた歩道上であることが認められる)からでは、被告今井が原告の肩に手を置くところや、原告が手を突き上げるところは目撃できないというのである。従つて、被告船水の供述内容のうち、少なくともその一部が客観的事実に反するものであることは明らかである。

(二) また、検証調書及び実況見分調書によると、被告船水が立つていたとする地点は、原告のタクシーが停つていた地点から一〇メートル程離れており(この点は前認定のとおり)、この位置からだと、原告と被告今井とが争つている様子は、斜め後ろから、同車の窓越しに目撃することになることが認められる。従つて、被告船水が争いの様子を見易い位置にいたとは思われないのに同被告は、(3)記載のとおり、殴打の状況について詳細に供述しているばかりでなく、「被告今井の方は落ち着いているようだつたのに対し、原告は興奮している様子だつた。」などと、原告や被告今井の態度についても明確な供述をしている。

これに比べ、原告と被告今井の会話(右両名の各本人尋問の結果によると、少なくともその一部は相当の大声であつた可能性が高い)の内容は「よく聞こえなかつた」と不明確であり、供述の精粗にアンバランスがあるようにも感じられるし、それでは何故「被告今井は落ちついており、原告だけが興奮していた。」というような判断ができたのかについても疑問が残らざるを得ない。

(三) このように被告船水の刑事供述のうち、被告今井の供述に沿う部分にはいずれも疑問があり、同被告の有利に偏したものである疑いさえ感じられるところがある。

2また、一、二において被告今井の供述に対する疑問点として指摘したところはそのまま被告船水の刑事供述についても当てはまる。従つて、同供述は、この点からも疑問があると言わなければならない。

3以上検討したところによると、被告船水の刑事供述はその重要な点において疑問があり、たやすく採用し難いものと言う外ない。従つて、右の供述は一、二で検討した結果に影響を及ぼすものとは考えられない。

四  以上のまとめ

以上をまとめると、次のとおりである。

1まず、道路交通法違反の事実の有無については、原告の供述を信用すべきである。

2一方、殴打の有無の点については、原告の供述をそのまま信用することはできない。もつとも、原告に殴打されるに至つた経緯等に関する被告今井の供述、被告船水の供述もそのまま信用することはできないが、原告の供述が信用できない以上、原告が被告今井を殴打していないとまで断定することはできない。

3右の1、2によると、原告の主張のうち道路交通法に違反していないとの点は立証が尽されたと言うことができるが、傷害の罪を犯していないとの点は立証が尽されたとは言い難い。問題は公務執行妨害の点であるが、同罪が成立するためには被告今井に対して暴行が加えられたことの外、被告今井が適法な職務行為を行つていたことが必要であるところ、この点に関する同被告の供述(道路交通法違反の取締中であつた)が信用できないことは前判示のとおりであり、同被告は右に挙げたことの他、自らが適法な職務行為を行つていたといえる根拠について何ら説明しない。従つて、このような場合にはむしろ、同被告は適法な職務行為を行つてはいなかつたものと推認すべきであり、公務執行妨害の成否に関する原告の主張も立証が尽されたものと認めてよい。

4以上が、被疑事実の存否に関する当裁判所の認定であるが、原告は、被告船水がその本人尋問の呼出しに応じなかつたことから、同被告との関係で民訴法三三八条を適用し、原告の主張をすべて真実と認めるべきであると主張する。当裁判所としても、後記のとおり、呼出しに応じなかつたことについての同被告の弁解に必ずしも十分納得しているわけではない。しかしながら、同被告の弁解を虚偽と断定するのにはいささか無理があろうし、同被告が現に海外で居住していることも一応考慮すべきである。このような事情や、同被告本人の尋問をしなくとも前判示のとおり認定ができることに照らし、民訴法三三八条の適用はしない。また、この点は、第三の認定に関しても同様であることを付言しておく。

第三  証拠のねつ造の有無

一  出発点としての疑問

被告らは、被告今井が被告船水に証拠のねつ造(虚偽の供述)を依頼したことはない、と主張し、被告今井は目撃者探しを行つた結果被告船水に出会つたものであり、右両被告とも互いに同級生であつたことには全く気付かなかつたと主張している。また、右両被告が、現在に至つてもなお同級生であつたことを思い出せないと供述していることは前判示のとおりである。

この主張ないし供述からまず疑問となるのは、(一)被告今井が目撃者探しをした結果かつての同級生である被告船水に出会つたというのは偶然すぎないか、ひいては被告今井は本当に目撃者探しを行つたのか、(二)右の両被告が今もなお同級生であつたことを思い出せないと供述しているのは信用できるか、の二点である。そこで、まずこの二点について検討する。

1目撃者探しについて

(一) 被告今井は、「五月五日、同月六日の二日間にわたり、講道館前の歩道付近において私服(背広)で目撃者探しを行い、その結果同月六日の午後四時ころ、目撃したという被告船水に出会つた。」と供述しており、被告船水の刑事供述もこれに沿うものである(もつとも被告船水は、被告今井と出会つたのは午後二時ころであると述べており、この点では供述に食い違いがある)。

ところで、被告船水の刑事供述〈証拠〉によると、本件当時の同被告の住居は渋谷区神宮前であり、勤務先は世田谷区粕谷に所在する世田谷自動車学校であつたことが認められる。そして、五月四日と五月六日の両日に春日町交差点付近にいた理由について同被告は、「小林寺拳法をやつていた関係で、国鉄水道橋付近にある武道具屋に買物に行き、その帰りがけに講道館をのぞきに行つた。」と供述している。従つて、被告船水は、春日町交差点という場所に特別の関係を有していたわけではなく、いわば、たまたま通りかかつた通行人というのにすぎない。

そうすると、右被告らの供述によれば、被告今井のかつての同級生がたまたま本件を目撃し、更に、その翌々日に被告今井が目撃者探しをしているところに出くわした、ということになるのであつて、このこと自体極めて偶然性の高い事柄であると言う外ない。

(二) しかも、被告今井が目撃者探しを行つていたという供述は、次に述べるとおり極めて疑わしい。

(1) まず、被告今井は目撃者探しをした動機について、(ア) 原告が被疑事実を全面否認していたこと、(イ)原告が全自交に加入しており、全自交の加入運転手は法廷でも徹底的に争うことが多いため原告も同様に争う可能性が高いと思つたことを挙げている(もつとも、(イ)の点は本訴において初めて述べたものであり、刑事公判中は述べていない)。

しかしながら、右の程度のことが目撃者探しをする動機になるのか自体疑問である(被告今井は、その一方で、本件程度の事件は警察にとつて小さな事件であつて、看板を出して目撃者の通告を求める等のことはしなかつたと述べているし、また、その供述からも、本件以外に、同程度の事件で目撃者探しを行つた形跡は窺われない。)。

(2) のみならず、前判示のとおり被告今井は富坂署交通課執行係の職にあつたものであるところ、目黒刑事証言によると、富坂署の交通課は、執行係と捜査係が分れており、原則として執行係の者が捜査を担当することはなかつたことが認められる。そうすると、被告今井は捜査係の担当であるべき目撃者探しを、自己の職務外であるにもかかわらず行つたことにならざるを得ず、それ自体不自然であるし、まして、被告今井は、本件について被害者の立場にあるわけであり、そのような者が捜査に加わるということは、尚更不自然であると言う外ない。

(3) 被告今井は、目撃者探しを行うに当たり、上司である目黒に報告をし、了解を得たと供述している。しかしながら、目黒刑事証言によると、同人は、事前に被告今井から目撃者探しを行うという報告を受けたことがなく、五月六日に被告今井が被告船水を「目撃者を見付けた。」と言つて同行して来たので被告今井が目撃者探しをしていたことを知つたのにすぎないというのであつて、被告今井の前記供述と相反している。そして、(二)で検討した点に鑑みると、被告今井が事前に目撃者探しをするとの報告を行つていたとした場合、これが認められたかは極めて疑問であつて、同被告の前記供述は信用し難い(逆に、被告今井が事前の報告もせずに目撃者探しを行つたとすれば、その間本来の職務を放棄していたことにならざるを得ず、これも不自然であると言う外ない)。

(4) また、目撃者探しの内容に関する被告今井の供述内容にも疑問がある。

第一に、目撃者探しを行つた時間帯についての供述をみると、一方では「五月五日、六日とも朝から行つた。」と述べている反面、「両日とも昼ころから行つた。」とも述べているのであり、あいまいである。

第二に、被告今井は、目撃者探しの内容として、講道館に出入りする人や、同館に勤務する人に対する聞込みを行つたと述べている。そして、現場の状況に照らし、本当に目撃者探しをしたのであれば右のような聞き込みは、非常に重要なものであつたはずである。それにもかかわらず、被告今井は、右の聞き込みを五月五日に行つたのか六日に行つたのかを明らかにしないばかりか、これを行つた際の講道館内部の状況に関する供述も極めてあいまいである。

(5) さらに、星宮証言によると、同証人は本件当時、春日町交差点に所在する春日町交番(その位置は別紙図面(一)のとおり)に勤務していたものであるが、被告今井が目撃者探しをしていたことを知らず、また、他の相勤者からもそのようなことは聞いていなかつたことが認められる。ところが、別紙図面(一)から明らかなとおり、被告今井が目撃者探しを行つたという講道館前の歩道は、前記交番の目の前ともいえる場所にあり、被告今井が本当に目撃者探しを行つたとすれば、右交番に勤務する警察官がその姿に気付かなかつたなどということは考えられない。

(三) 次に被告船水の供述内容について検討する。

(1) まず、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(ア) 被告船水は、昭和五〇年四月二一日から同年五月一七日まで、自動車教習所指導員になるため新任指導員講習会に参加していたこと。

(イ) 右期間のうち五月一日から五月一七日までの間は、右講習会の午前の部に属し、午前八時三〇分から午後〇時二〇分まで府中試験場で講習があつたこと。

(ウ) 講習終了後、参加者はそれぞれ自己の所属する教習所に戻り勤務することになつていたが、教習所が休みの日は、直接帰宅することが認められていたこと。

(エ) 五月四日は日曜日で講習会は休みであつたこと。

(オ) 五月六日は、勤務先の世田谷教習所の休日に当り、被告船水は、講習終了後の午後一時ころ、京王線つつじが丘駅で、ともに講習を受けていた高沢雄一らと別れていること(被告船水の公判証言中には、同日は鉄道のストライキのため講習会が休みになつたとする部分があるが、前掲証拠によれば、同日はストライキが行われていなかつたことが認められるから、採用することができない)。

以上の事実によると、五月四日、同月六日の両日に武道具屋へ行き、そのついでに講道館へ練習の様子を見に行つたという被告船水の供述は一応つじつまが合つていると言える。

(2) しかしながら、同被告の供述には疑問もないわけではない。

(ア) まず被告船水は、武道具屋へ行つた目的について、員面では「帯に名前を入れてもらうため」と述べているのに対し、公判証言では、「ある物を買うため」と述べている。このように供述に食い違いがあるうえ、その供述自体あいまいの感を免れない。また、同被告が行つたという武道具屋の名前も明らかではない。

(イ) また、被告船水はその公判供述において、五月六日の行動について、当日はストライキのため講習会が休みであつたと述べている。しかしながら、実際には、同日講習会が行われたことは前認定のとおりであつて、右の供述は明らかに誤りである(同被告は本訴において、五月六日は講習を受けたあと武道具屋へ行つたという内容の準備書面を提出しているが、これだけでは、右の疑問は払拭されない)。

(ウ) 更に、被告船水は右両日とも講道館の練習の様子を見学していたと述べるのであるが、練習の内容に関する供述内容も明確でない(このことは特に五月六日の供述内容についてそうである)。

(四) 以上検討したところによると、被告今井が目撃者探しを行い、その結果被告船水にめぐり合つたとは到底考えることができない。また、被告船水の弁解についても、以上の検討結果だけからそのすべてを虚偽と断定することはできないが、少くとも五月六日に偶然目撃者探しをしていた被告今井に出会つたとする部分は信用し難いものと言わなければならない。

2互いに同級生であることを思い出せないという供述について

(一) 被告今井と被告船水とが国学院高等学校二年当時同級生(一二組)であつたことは前判示のとおりである。また、〈証拠〉を総合すると、右被告らの所属していた二年一二組は生徒数五五名であり、授業は体育等の特別教科以外はすべてクラス単位で行われていたことが認められる。

従つて、同級であつた一年間でクラスの全員が知り合えるような状況にあつたことは間違いないと言える。被告今井は、同高校がいわゆる「受験校」であつてクラスの連帯感がなかつた等種々の弁解をしているが、それらのことは右の認定を左右するに足りない。

(二) 被告船水については高校時代の写真として甲第三二号証の二ないし四が、本件当時の写真として甲第三三号証が提出されている。また、被告今井についても高校時代の写真として甲第三二号証の五、六が提出されている(これらの書証が右に記載したとおりの写真であることは当事者間に争いがない)。

これらの写真によつても、右両被告とも高校時代と本件当時とでその面影が全く変つていたとは認め難い。

(三) 右の各事実によると、被告今井と被告船水とが、互いに高校時代の同級生であつたことを認識し得る可能性があつたことは十分に認めてよい。従つて、当初から同級生であると気付いたかどうかはともかくとしても、現在に至るまで同級生であつたことを思い出せないとする右両被告の供述(被告今井は別人であると思つたとまで供述している)は到底信用することができず、むしろ当初同級生であるとは気付かなかつたという主張を正当化するための作為的な供述ではないかという疑いさえ生じさせる。

3以上のまとめ

(一) 以上の検討により、冒頭に掲げた二つの疑問点についての被告今井の供述及び同船水の刑事供述のうち、少なくともこれに沿う部分はいずれも信用できないと言うべきである。そうすると、被告船水が目撃者として現われてきた理由は他にあると考えなければならないが、その理由としては一応次のものを考えることができるであろう。

その第一は、被告今井が何らかの形で偶然に被告船水が本件を目撃していたことを知り、しかも互いに同級生であることに気付かなかつたというものである。

第二は、右の両被告が以前からの知り合いであり、その関係から、被告今井は、被告船水が本件を目撃していたのを知つたというものである。

そして第三は、原告の主張する証拠のねつ造である。

(二) 右の三つの可能性のうち、第一は余りに偶然性が高いこと、そして、この場合には被告今井及び同船水が前記の疑問点について信用のできない供述をしている理由が説明しにくいこと等から、一応考慮の外に置いてよい。従つて、問題は第二と第三の考え方のいずれをとるべきであるかであるが、前判示のとおり被告今井と同船水とが、前記の疑問点について信用できない弁解をしていることは右の被告らに不利益に考慮されてもやむを得ないと言うべきであり、第三の考え方、すなわち原告の主張にも相当の理由があると言わねばならない。

ただし、以上の検討は単なる推測にすぎないから、これを裏付けるに足りる証拠があるか(補強証拠の有無)はなお検討する必要がある。

二  被疑事実の有無に関する被告今井と被告船水の供述内容

この点については、既に第二で検討をしたが、ここでは、証拠のねつ造という観点から改めて検討する。

1右の両被告の供述のうち、少なくとも道路交通法違反の有無に関する供述及びその後の原告の行動に関する供述(原告が一方的に興奮して被告今井を殴打したのかどうか)がいずれも信用することができず、むしろ前者については原告は被告今井に直進を指示されたため、その理由を聞こうと考えてタクシーを停車させたものと考えられること、後者については原告と被告今井の双方が興奮して争いになつたように窺われることは前判示のとおりである。

ところで、右のうち前者の点は原告のタクシーが第一車線を走つていたのか、第二車線を走つていたのか、また、原告のタクシーは自転車パレードと一緒になつて走つていたのかそれとも一緒に走つていたのではないのか、という外形的に全く異る事柄に関するものであるから、この両者を見誤る可能性は殆どないといつてよい。従つてこの点に関する右の両被告の供述は故意に偽りの供述をした疑いが強いといわなければならない。

次に、後者の点は前者程外形的に異るものとはいえないが、被告今井の供述は、同被告がまさに事件の当事者であつて、その内容を正確に認識していたはずであること等から、また、被告船水の供述は、被告今井と一致して信用のできない供述をしていること、その供述内容が不自然に被告今井に有利なものとなつている節が窺われる(この点は第二、三で検討した)等から、いずれもことさら被告今井に有利な供述をした疑いが高いといわなければならない。

しかも、右の両被告の供述が客観的事実に反する信用のできないものであるにもかかわらずその内容が殆ど一致していること、そして、両被告はともに事件の被害者或いは目撃者として進んで捜査機関に対し供述をした者であつて、捜査機関の強制ないしは誘導によつて誤つた供述をしたとは考えられないことに照らすと、右の両被告が通謀してことさら被告今井に有利な供述をした疑いも極めて高いと言う外ない。

2もつとも、被告船水の供述のうち、本件当日の同被告の行動に関する供述を虚偽と断定はできないことは前判示のとおりであり、また、〈証拠〉によれば、同被告が刑事裁判において証言をした際、証言内容の全般に亘り、弁護人から執拗に反対尋問を受けながら、その供述がさほど動揺したものとは窺われない(例えば、本件当日の自転車パレードについては、反対尋問の際にはじめて質問を受け、これに答えていることが認められる)のは事実である。

3以上の点を考慮すると、1の点があるにせよ、被告今井、同船水の供述内容から、直ちに原告の主張するとおり被告船水が本件を目撃してもいないのに目撃したとして虚偽の供述をしたとまでいえるかは疑問である。

しかしながら、被告船水が本件を目撃したかどうかはともかくとして、少なくとも1で挙げた点については、被告今井と被告船水とが通謀して偽りの供述をした疑いが極めて強いといつてよい。2で挙げた点、ことに被告船水の反対尋問に対する対応の点は考慮すべき問題ではあるが、前掲甲第七号証の一、二、実況見分調書及び目黒刑事証言によれば、被告船水は、刑事裁判において証言をするのに先立つて、昭和五〇年七月一日に富坂署の行つた実況見分に立会つていること(被告今井の供述によると同被告も右の実況見分に立会つていたことが認められる)、また、右の反対尋問が行われた時には弁護人側もいまだ同被告と被告今井の関係について確たる証拠を握つてはいなかつたことが認められるのであるから、反対尋問に対する対応の点を前記認定を左右する程のものとまで過大視することはできない。

三  他の情況証拠

1高沢刑事証言について

原告は、被告船水が、昭和五〇年六月二〇日ころ、高沢雄一に対して、警察官から虚偽の目撃証言をして欲しいと頼まれたという趣旨のことを述べたと主張し、高沢刑事証言がその証拠であるという。仮に原告の主張が真実であるとすれば、「証拠のねつ造」を認定するための極めて有力な証拠であると言えよう。しかしながら、結論を先に述べると、高沢刑事証言から原告の主張事実を認めることは困難である。すなわち、

(一) 右証言中には確かに、裁判官の「証人は、六月二〇日に嘘の証言をしてくれと言われたということを聞いたのですか。」との質問に対して「はい」と答え、また、「船水は証言してくれと言われたがその事実は見ていないとはつきり言つたのですか。」との質問に対し、「本人は言つていました。」と答えるなど、明確に被告船水が偽証の依頼を受けたことを告白した旨述べる部分がある。しかしながら、その一方で、「友達の警察官からその警察官がタクシーの運転手に殴られたと証言してくれと頼まれ、嘘の証言をするのだと感じた。」、「嘘をつくのだと思つた理由は当時被告船水に警察官から電話がよくかかつてきていたし、その警察官が彼の友達だと被告船水が言つていたからである。」と述べている部分もあり、被告船水から聞いた内容と高沢の印象との区別が不明確である。

(二) また、被告船水が本当に偽証を頼まれたのであれば、同被告がそのようなことをたやすく他人に告げるということ自体不自然であるし、同証言からも被告船水と高沢とが、右のような事実を打明ける程親密な間柄であつたとは認め難い。

2被告今井と被告船水の親密さ

被告今井が被告船水に虚偽の供述を頼んだとすれば、右の両名は相当に親密な間柄であつたはずだと考えるのが常識的であろう。そこで次にこの点について検討する。

(一) 高校時代

〈証拠〉によると、被告今井と被告船水は、高校二年生の時に行われた修学旅行で同じ班に属することになつていたこと、そして、この班は、主としてクラス内部の親しい者同士が集つて作つていたことが認められる。しかしながらこの事実から、右の両被告が友人であつたと断定することはできないし、他に、両被告が友人関係にあつたことを窺わせる証拠はない。

かえつて徳光証人が右の二人が特に親密な間柄であつたという印象はないと述べていることからすると、高校時代は友人と言えるような間柄ではなかつた可能性の方が高い。

(二) 卒業後―織田証言

織田証言によると次の事実が認められる。

「同人はかつて被告船水とともに中野輸送という会社に運転手として勤務していたことがあり、昭和四八、九年ころには二人とも同社から中央繊維興業株式会社(千代田区神田東松下町一三所在)に出向して運転手をしていた。その当時白バイ警察官が二度ほど勤務先に被告船水を訪ねてきたことがあつた。この警察官は織田のみたところでは小柄でがつちりしており、年令も被告船水と同じ位であつた。被告船水はこの警察官のことを自分の友人だと言つていたが、どのような関係の友人かは話さなかつた。」

なお、被告今井の本訴における供述(第二回)によると、織田証人の証言中には白バイ警察官の服装、乗つていたオートバイの形状について誤りがあることが認められるが、これらはいずれも同証人の持つている「白バイ警察官」に対するイメージから発した誤りと理解することができるから、前記認定を左右するものではない。

そこで、織田証人のいう白バイ警察官が被告今井と同一人物であると言えるかについて検討する。

(1) 被告今井の本訴における供述(第二回)によると、同被告は昭和四八年当時富坂署に白バイ警察官として勤務しており、しかも同署の所在地と中央繊維興業事務所の所在地とは距離的にかなり近いことが認められる(ただし、前記事務所の所在地は富坂署の管轄区域外である)。

(2) 織田証人は、被告船水を訪ねて来た白バイ警察官が「小柄でがつちりとし、被告船水と同年令くらい」であつたと証言しているのであるが、この特徴は被告今井と一応合致する。

(3) 被告今井が交通取締等を担当する白バイ警察官であつて、被告船水が自動車運転手であつたことは前判示のとおりであり、このような職業と、右の両被告が高校時代の同級生であつたこととを考え合わせれば、仮に右の二人が何らかの形で再会したとすれば、親交を結ぶようになつたとしても不自然とはいえない。

(4) 以上の事実は、いずれも被告今井が織田証言のいう「白バイ警察官」であることを直接に裏付けるものとは言えないけれども、右の両者が同一人物である可能性は相当に高いと認めてよい。

被告今井は本訴(第二回)において、中央繊維興業事務所へ被告船水を訪ねたことを否定し、同事務所は富坂署の管轄区域外にあつて職務時間中に同事務所を訪ねることは規則上許されていないし、また、昼休み時間中に訪ねるだけの時間的余裕もないなど種々弁解をしている。しかしながら、右の弁解には、オートバイに乗つて富坂署から中央繊維興業事務所まで行くために要する所要時間をことさら長く供述している節が窺えるなど不自然な点が多く、そのまま採用することはできない。また、被告船水作成の昭和五六年二月一〇日付準備書面中には、同被告が中央繊維興業に出向していた当時交通取締の警察官と世間話をしたことはあるが、友達にはならなかつたとの記載部分があるが、これも他に右の記載部分を裏付ける証拠はなく、直ちに採用し難い。

(三) 以上のまとめ

以上に検討してきた点、及び前判示のとおり被告船水が本件の目撃者として富坂署に出頭してきた当時、同被告と被告今井とが何らかの形で知り合いであつた可能性もかなりあることに照らすと、右の両被告が本件当時友人関係にあつた(すなわち高校卒業後親密な間柄になつた)可能性は決して少なくないと言うことができる。もとより、右の友人関係を直接に証明する証拠のないことは前判示のとおりであるけれども、高校卒業後親交を結ぶようになつたのであるとすれば、そのことを直接証明する者が出現しないとしてもさほど不自然とは言えない。むしろ、被告今井が主張する本件の発端が道路交通法違反であつたこと、そして被告船水が本件当時自動車運転教習所の指導員になるべく講習を受けていたことに鑑みれば、仮に被告今井が虚偽の供述をしてくれる相手を探しており、しかも同被告と被告船水とが友人であつたとするならば、道路交通法等に詳しいはずの被告船水は格好の相手であつたとも言える。

3被告船水のメキシコ行きについて、

被告船水が昭和五一年五月三日にメキシコへ渡航し、その後帰国していないこと、同被告が本訴において本人尋問のための呼出しを受けながら出頭しなかつたことは前判示のとおりであるところ、同被告は、この点に関し、同被告の主張記載のような弁解をしている。

ところで、右弁解については、渡航の時期がちようど、原告が刑事第一審の有罪判決に対し控訴を申立てた後に当たること(前認定の控訴審における原告の弁護人らの活動に照らすと、右弁護人らはその頃から被告今井と被告船水の関係について調査を始めていたものと推認しうる)、かつて世田谷自動車学校で被告船水の同僚であつた高沢が、その刑事証言において被告船水の渡航はいかにも唐突に感じられたと供述していること、被告船水が本訴の本人尋問期日に出頭しない理由もそのまま首肯するにはたりないこと(同被告は、その主張を裏付けるための資料を何ら提出していない)など疑わしい点がある。

これらの事情は、直ちに同被告が虚偽の供述をしたことが発覚するのを惧れてメキシコに渡航したと推認するに足りる程のものではない。しかしながら、同被告のメキシコ渡航に本件が何らかの形で影響を及ぼしているのではないかという疑いを払拭しきれないこともまた否定し難いところである。

4被告今井の立場

第二において認定したとおり、原告は少なくとも道路交通法違反、公務執行妨害の罪を犯してはいないのであるから、被告今井が右の両罪により原告を逮捕したのは違法な逮捕であつたと言わざるを得ない。また、被告今井は警察官としての職責からこのことを十分に認識できたはずである。そして、右のことやその他本件の事情に照らすと、仮に事件の真相が明るみに出れば、単に原告が無罪となるというに止まらず、被告今井自身の責任が追及されることにならざるを得ないのであつて、このことは本訴に至る経過自体が明暸に示している。そうであれば、被告今井が、自己の立場を有利にしようと画策する動機は十分にあつたといえる。

5以上検討してきた情況証拠は、いずれもそれ自体として、原告の主張する証拠のねつ造を認めるのに十分なものとまでは言い難い。しかしながら、証拠のねつ造があつたとしてもそれに矛盾するものではなく、むしろ、これを疑わせるものである。一方、証拠のねつ造を認定した場合これと明らかに矛盾する証拠は見出すことができない。一般論として第三者に虚偽の供述を依頼すること、そして依頼を受けた第三者がこれに応ずることには相当の心理的抵抗があるであろうことは容易に推測できるのであるが、本件の場合右の議論も一般論に止まるにすぎない。

四  結論

以上に検討してきた結論を改めてまとめると次のとおりである。

第一に、被告船水は被告今井が偶然発見した目撃者であるとは到底考えられないし、また、この両者が現在に至つても同級生であつたことを思い出せないとしているのも虚偽と断定せざるを得ない。そして、右の両被告がこのような虚偽の供述をしていることは、かえつて両者の間に何らかの通謀があつたことを疑わせる。

第二に、右の両被告の刑事供述のうち、道路交通法違反についての部分は虚偽の供述という外なく、また、その後の原告の行動に関する供述のうち、原告が一方的に興奮して被告今井を殴つたとする部分も虚偽の供述と疑われる。そして、両被告の刑事供述の内容が一致していることもまた、両者の間に通謀があつたと考える有力な根拠になる。

第三に、その他の情況証拠も被告今井と被告船水とが通謀して虚偽の供述をしたという仮定をした場合、これに反するものではなく、むしろこれを疑わせるものである。

以上の結論は被告船水が本件を目撃していなかつたとまでいえるかはともかくとして、被告今井が自己の逮捕行為等を正当化するため被告船水に対して本件に関し、被告今井に有利な供述をしてくれるよう依頼し、両者が通謀して虚偽の供述をしたと推認するに十分なものであると言つてよく、原告の主張はその限りで理由がある。確かに右の両被告が証拠のねつ造を通謀したことを直接に証すべき証拠は存在しないし、通謀の日時、場所も特定することができない。しかしながら、このようなことは事柄の性質上当然のことであつて、何ら右の推認の妨げになるものではないし、他にこれを左右するに足りる証拠は見出すことができない。

第四  被告らの責任と原告の損害について

一  被告らの責任

1 第一ないし第三に認定した諸事実に照らすと、被告今井及び被告船水は原告に対し次のような加害行為を行つたことになる。

(一) 被告今井は、原告が道路交通法違反、公務執行妨害の罪を犯していないことを認識していたにもかかわらず、原告を違法に逮捕した。

(二) 被告今井及び被告船水は、被告今井の右逮捕行為を正当化するため、通謀して警察官、検察官に対し、前記のように、被告今井に有利な虚偽の供述を行い、更には刑事裁判においても同様に虚偽の証言をした。

そして、右の各行為が不法行為を構成することは明らかであり、かつ、被告今井については、警察官としての職務を行うに当つて右のような不法行為を行つたものと言つてよい。

2そうすると、被告船水は民法七〇九条により、また被告東京都は国家賠償法一条により、それぞれ原告の蒙つた損害を賠償する義務があるというべきである。

しかしながら被告今井については、右にみたとおり公務員がその職務を行うに当つて不法行為を行つたのであるから、被告東京都だけが国家賠償法による責任を負うものであつて被告今井個人が責任を負うものではないと解すべきであり、原告の同被告に対する請求は失当として棄却すべきである(原告は被告今井に対し民法七〇九条に基づく請求をしているが、本件が国家賠償法を適用すべき事案であることは前判示のとおりであるからこの理は変わるものではない)。もつともこのように解することに対しては、いわば本件の最大の責任者ともいえる被告今井が責任を負わないのは不当であるという反論が予想される。しかしながら、国家賠償法を含め、民事法の規定する損害賠償制度は、本来損害を受けた者の財産的な救済を目的とするものであつて、加害者に対する制裁を目的とするものではないから国家賠償法により十分な救済が期待できる以上、損害賠償請求の目的は達せられたものというべきであり、結局原告の被告今井に対する請求は棄却する外はない。

二  原告の損害

1損害の範囲について

まず原告の損害額について判断する前に、損害の範囲についての検討を加えておく必要があろう。何故ならば、原告の主張のうち、傷害の点については原告がこれを犯していないものと認定できないことは前判示のとおりだからである。しかしながら、結論を先にのべると右の事情は慰藉料算定について考慮するに止め、財産的損害については考慮すべきではないと考える。その理由は次のとおりである。

(一) 第一に、原告の財産的損害の主張は、いわれもなく勾留、起訴されたことを理由とするものであるから、傷害の点が原告の財産的損害に関する認定に影響を及ぼすといえるためには、原告も傷害の罪による勾留、起訴だけは免れなかつた可能性が高いと認定できなければならないはずである。しかしながら、前判示のとおり、当裁判所は傷害の点について積極的にこれを犯したと認定しているわけではない。むしろ、本件にあらわれた証拠を前提とする限り、そのような認定、特に原告が故意に被告今井を殴打したというような認定は困難であり、嫌疑不十分とされる可能性もかなりあつたものといわざるを得ない。

(二) 第二に、傷害による立件が可能であつたとしても、原告がその他の罪を犯していない以上、事案の様相は全く異つて来ざるを得ず、従つて、勾留の必要性、起訴価値についても考え方が一変したはずである。そしてこのことは、傷害罪についても原告に一方的に非があるとはいえず、被告今井の帰責事由をも考慮しなければならなくなるはずであることを意味する。従つて、仮に原告が傷害罪を犯していたとしても勾留、起訴されたかどうかは疑問である。

2損害額について

(一) 休業損害 三万三〇八〇円

原告が昭和五〇年五月七日から同月二一日までの一五日間勾留されたこと、並びに、刑事裁判の公判及び検証に合計一五回出頭したことは前判示のとおりである。また、原告は右の一五回の出頭により少なくとも一回につき二時間宛労働不能になつたと認めてよい。

そして、〈証拠〉によれば、事件当時の原告の収入は原告主張のとおりであつたと認められる。従つて、右の収入に基づく休業損害の計算は正当であり、その結果から原告が自認する刑事補償決定による補償額等を控除した残額は三万三〇八〇円となる。

(二) 刑事裁判の弁護士費用

三〇万円

原告本人尋問の結果によれば、原告は刑事裁判の追行に当り、弁護士我妻真典、茨木茂、寺村恒郎の三名にその弁護を依頼したこと、その費用として原告主張のとおり合計二五五万円を支払うことを約束したことが認められる。そして、前記刑事裁判の内容、公判の経過、原告が自認する刑事費用補償決定に基づく補償額等を考慮して、右の約定額のうち三〇万円を相当因果関係にある損害として認めることとする。

(三) 慰藉料 一〇〇万円

原告は、前判示のとおり被告今井によつて違法に逮捕された上、同被告及び被告船水の虚偽の供述によりいわれのない罪を着せられ、勾留、起訴された上、一時は有罪判決までも受けたのであつて、このため少なからぬ精神的、肉体的苦痛を受けたであろうことは容易に推認することができる。また、原告は被告今井に逮捕された際、右前腕擦傷の傷害を受けている。右の傷害が原告の主張するとおり何の抵抗もしていない原告を被告今井外の警察官がタクシーから荒々しくひきずり出したために生じたものであるかについては疑問も存するが、原告が右のような傷害を受けたこと自体は慰藉料算定の一事由となり得るものと考える。

しかしながら、原告の主張のうち被告今井に対する傷害の点は全くの濡れ衣であつたとまではいえないこと、そして本件の経過もそのすべてが原告の主張するとおりであつたとは認められないことも前判示のとおりであり(その意味で、原告に何の落度もなかつたといえるかは疑問である)、この点も慰藉料の算定に当つて考慮すべきである。

以上の点、その他諸般の事情を考慮すると、原告に対して支払われるべき慰藉料は一〇〇万円が相当である。

(四) 本訴の弁護士費用 三〇万円

原告本人尋問の結果によると、原告は本訴の追行のため前記三名の弁護士に訴訟を委任し、その費用として合計九〇万円を支払うことを約したことが認められる。そして、本件事案の内容等に照らして右の約定額のうち三〇万円を相当因果関係のある損害と認めることとする。

(五) 以上合計 一六三万三〇八〇円

第五  結論

以上の次第であるから、原告の被告東京都及び被告船水に対する請求は、いずれも、一六三万三〇八〇円及び内本訴の弁護士費用を除く一三三万三〇八〇円に対する、本件不法行為の日以後である昭和五〇年五月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、右の被告らに対する請求のうちこれを超える部分並びに被告今井に対する請求はいずれも失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言については相当でないものと認め、この点に関する申立を却下して主文のとおり判決する。

(大城光代 春日通良 鶴岡稔彦)

別紙(一)(証拠の表示)、公判経過表

図面(一)〈省略〉

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